漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ボランタリー

■茂木さんも北大祭に行ってたんだ。俺も行ったよ。どこかですれ違っていたかもね。

■山田が書いていたボランティアの話はなかなか大事なことで、漂流教室でも"あえて"ボランティアでやってもらっているところがあるわけです(じゃあお金払えるのかと訊かれると困るんだけど)。対価を支払うと、それに釣り合うことしかしなくなる、または釣り合うまで無理するということが起こり得る。お金は強力なモノサシなので、あると測らざるを得ない。

こんな風に自分のしたいことなら、人はどれだけ動くこともお金を使うこともいとわないわけです。ボランティアに求められるのは、多分このような自発性のはずです。自分にとってそれをすることが快であること、生きるのに必要であることくらいのレベルであることが、ボランティアに求められる自発性なのかもしれません

山田もこう(↑)書いているけど、そのときの自分にできる最大のパフォーマンスを求めるならボランティアが向いているということはきっとあります。

■一方で、ボランティアにこんなことまでさせるのは悪いよなと遠慮している部分もある。スタッフ研修をしても、「ここまでのものは求めていないので」なんて言っている。それは正しいのか。研修のレベルを上げてボランティアにもがっちり動いてもらったっていいのじゃないか。というより、そこまで専門性のあるものを提供できるから、ボランティアに来てもらえるのじゃないか。

■おそらく漂流教室を始めたときは違った。右も左もわからないのはこっちも同じで、ボランティアスタッフと一緒に考えてシステムをつくりあげた。自然に自発性を求める形になっていたのだ。それがいつの間にか「型」ができ、自発性と型のあいだで、ボランティアの扱いが宙ぶらりんになってしまった。ボランティアに求めること、ボランティアの立場をあらためて考え直す必要がある。(6/4夕)