漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

不登校(その2)

■皆さんこんにちは。ボラスタの山川です。お待たせいたしました。先週の続きです。

■前回母親が学校に大激怒したところで第一章が終わったんですよね。その出来事は漂流教室を知る前でした。そのまま完全に学校との関係を断ち切れるかなと思ったんですが、学校側との約束で週に2回学校に行かなければいけないことになりました。行きたくない感情を押し殺し学校に向かい担任の先生に二つお願いをしました。まず一つ目「生徒が完全に授業を行っている時間帯に登校すること」。不登校の子が一番恐れるのは学校内で同級生に会うことだと思ってるので誰もいない時間に登校したいと言いました。そして二つ目「帰る時間も生徒がいない時間に合わせてほしい」と頼みました。

■学校側はそれを了承してくれました。で、月曜日と火曜日の週二日学校に登校することになりました。でもどこで誰と会うかわからない不安と恐怖。家に帰ってきてもお菓子を買いに行くことにも少し抵抗がありました。道端で急に同級生と会ったらどうしようとか公園に居たらどうしようとかつい考えてしまう。なので学校から帰ってきても夕方の三時とか四時くらいは家から一歩も出ずに家でゲームをしていました。

■そして学校に通うようになって1ヶ月くらい経ったときに今でも忘れることのない大事件が起こりました。元々別室登校をしていたんですね。その時にたまたまいつも使ってる教室があいてなくてパソコン準備室で国語の教科書にある漢字をノートに写していた時、パソコン準備室の扉が急に開いたんですよ。誰かと思ったら教頭先生だったんですね。すぐ出て行ってくれるかなと思ったらまさかのまさか。「皆待ってるよ! さあ教室に行こう!」と言われ断り切れずそのまま体育の授業に参加させられました。勿論ジャージなんて持ってきてないしただ授業を授業を見学するしかできなかったです。まあ周りの生徒はよく思わないですよね。やっぱり学校に来てないやつが急に学校来ると聞きたくなるわけですよ。「なんで学校来たの?」とその言葉が本当に嫌で嫌でしょうがなかったです。しかもこれでは終わらなかったんです。

■半強制的にクラスの中に入れられた私。友達なんているわけないし。そして最悪のタイミングで次の時間が給食だったんですよ。逆によくあの時に帰らず給食食べれたな自分って思うくらいに美味しくなかった。それでも給食食べてたわけですよ。もう美味しいなんて感覚もなかったなと思います。向かい合わせに机をくっつけて食べてたんですけど向かいに座っていた女子生徒から半笑いで「給食費払ってるの?」と言われました。もう傷つく心すらもなかったです。何故今でも覚えてるかと聞かれたら不登校になって一番自分の中でその言葉が最悪だったからですね。忘れたいんですけどなかなか忘れられません。

■と、今週はここまでにします。次回はスクールカウンセラーとの出会いと「漂流教室」との出会いについて書きます。ではまた。