漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

どっちも自腹

■窓の外にリンゴ売りはいないけど吹雪吹雪氷の世界。動画は爆風スランプバージョン。半日そとに車を停めておいたら湿った雪にすっぽり埋もれてしまった。おかげで汚れがとれたけどね。洗車したようにピカピカです。

■「不登校児が2.5倍に急増、社会難民化する20万人の欠席者たち」というショッキングな見出しを掲げた記事を見た。「クラスジャパンプロジェクト」という団体の紹介記事で、自治体と協力し、不登校の子供らにインターネットを通じて学習させようというもの。記事によれば参加した市町村の不登校児童生徒の家庭にはパソコンが支給され、「学習指導要領に沿った授業のソフトだけではなく、自尊心を高め、自立を促すプログラムや、キャリア教育を行うプログラム、さらには健康を管理する体制」もネット上に整えられているんだとか。

■学校へ行かなくても卒業はできる。だが内申点がつかず高校進学が難しい。「自尊心は低下し、就職もできず(あるいはせず)、ひきこもる、仕事をしないなど、社会難民化する可能性が高いのが現状」と記事は畳みかける。なんのことはない。2016年9月に文科省が「不登校は問題行動ではない」と通知を出した。「不登校児童生徒が悪いという根強い偏見を払拭し,学校・家庭・社会が不登校児童生徒に寄り添い共感的理解と受容の姿勢を持つことが,児童生徒の自己肯定感を高めるためにも重要」と説いたが、一方で、「児童生徒によっては,不登校の時期が休養や自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つことがある一方で,学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在することに留意すること」と釘を刺した。クラスジャパンプロジェクトが煽るのは、まさにこの「リスク」だ。パソコンによる授業は、教育機会確保法でICTの活用がうたわれているからだろう。文科省の通知と教育機会確保法に書かれたことを忠実に履行したひとつの形がこれだ。2016年12月2日の日誌より。

学校が中心となって登校をうながそうというスタイルは変わっていない。これがなんだかおかしいのは、不登校に将来のリスクがあるとして、それを避けるためにはそのような社会を変えるという選択もある。それが、個人を導き、がんばらせるという方策しか打ち出してないからで、問題状況の打破は個人の努力しかないのか。それを「支援」と呼んでいいのか。

不登校が「結果として」の「状態」であり、「『問題行動』と判断してはならない」と言い切ったのは変化だった。しかし、リスクをちらつかせ、社会は変わらないからお前ががんばれ、そのための助力はしようというのじゃ、脅しているのとそう変わりないのじゃないか。

■今日の北海道新聞漂流教室のボランティアスタッフの話が載った。小中学校は形式卒業したのち自主夜間中学へ通った経緯が書かれている。「ほかの人より遅れたっていい。『学ぶことで希望や夢を持つことができる』から」という言葉で記事は終わる。だが、この記事がどっちに有利にはたらくかといえば、夜間中学やフリースクールではなくクラスジャパンプロジェクトだろう。

■どのみち学ばねばならないのならまわりと歩調を合わせたい、合わさせたいのが人情だ。「遅れたっていい」は一種の覚悟だ。覚悟はリスクを踏まえるからこそ生まれる。「不安」ではなく「喜び」。「できないことをできるようにさせる」のではなく「やろうと思ったことを支える」。書けば簡単だが、そこに至るまでの覚悟は子供の自腹だ。リスク回避が自腹のように。

■脅して学ばせるような真似はしたくないが、おなじ自腹かと思うと自分のしていることに疑問もわく。リスクはどうすれば減らせるのか。吹雪のリスクは家から出ないことで軽減できる。のこのこ出勤しているようじゃ考えつかないのも道理か。