漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

仮説の仮説

■夜勤後にひと眠りして積丹町へ学習支援にスタッフと出かけた。中三で町外の高校進学を希望している。夏前から始めて、とても頑張っている。普段は札幌とLINEを使って学習支援していて、月に一回程度直接会って学習を見るのだ。

■北海道の中三生は、今時期学力テストABCという三回連続のテストを受けて、受験したい高校に行けるかどうかの判定を学校がするための資料とする。ここで中一・二の学習内容をどれくらい忘れていないかチェックするのだが、これが出来ているかどうか子供らは戦々恐々とし、学校や保護者、塾などは勉強せいと発破をかける。

■というのが毎年恒例なのだけど、前職の塾講師から離れて十五年以上経ちずっとこの進学レールから外れた子供たちを見ていた経験からすると、そんなに頑張らなくてもいいだろうに、と思う。もうちょっと正確にいうと、頑張りたい子供は頑張ればいいけど、勉強嫌いなんだよねという子にまで頑張らせなくてもよかろうと思う。しかし、子供もその周囲も、こと高校進学については「行かなきゃならん」という思いが強迫的といえるほど強く、そこに苦しむ子供は一定数いる。

■最近の不登校新聞の「仮説なんですが…」という記事で、不登校をしていると感じる「青春というものからの圧力」をどう処理するか、その青春が学校とセットになっていることが不登校だと切実だという話が載っていた。思うに、高校進学せねばならないという思いはこの圧力が形を変えているものなのではないか。そこにあるのは、単純な同調圧力やもはや形骸化したようにも思える学歴主義といった外部からの社会的圧力ではなく、人生如何に生くべきかという問いがこの道を取る中で全うされるという、内面化された、いわば信仰の道のような何かな気がする。

■てなことを思いつつ、中三生に数学を教え、激しい雷雨に会いながら札幌に帰りましたとさ。(水曜日)