漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

第10回JDECその2

■間が空いたが振り返り。基調講演の後は二つの分科会に出席。一つ目は「フリースクールで教育機会確保法をどう活かすか」。二つ目は「多様な学びを支える仕組みづくり〜教育機会確保法『3年以内の見直し』も含めて〜」。どちらも、教育機会確保法を推進してきた人たちが今後どのような方向に向かおうとしているのか、確認できると考えたからだ。

■一つ目の分科会では、教育機会確保法に・期待すること・変わったこと・心配なこと・どう使えばいいか、という四項目について、参加者が付箋に書き出してシェアしていくというワークをした。多くの項目で「現状の変革」に対する期待がにじみ出ていた。例えば、学校を休めること/学びを選ぶことができるようになる/不登校特例校が作りやすくなる、など。変わったことはその期待に沿うような事柄が選ばれ、心配なことは期待を裏切るような動きが書かれていた。そして、どう使えばいいかは、確保法を世の中に広く知ってもらうことがベースになっていた。

■付箋を通してみると、どうもまず法律であるということが理解されていないように思われた。法律なのだから、そこに書かれていることが実行される。例えば、確保法の中に「休養の必要性を踏まえ」という文言がある。それを以て、不登校児童生徒の休む権利が保障されたという向きがあるが、「休む権利がある」とは書かれていないのである。法律を作ってきた側は休む権利を求めてきた運動の欠片をこの文言に見いだしているが、運用される時には「休む必要がある児童生徒であるかどうか、確認しないで一律休ませるということではない」という根拠にもなるのが、この文言だ。このような箇所は他にもあり、法律を作ったことにより、これまで求めてきた権利が逆に制限されてしまう危惧が出てきていると思う。

■権利だけでなく、文科省がこれまで進めてきた不登校への施策もこの法律に縛られる可能性がある。昨年九月に文科省が出した「不登校児童生徒への支援の在り方について」では、調査研究協力者会議の「問題行動と判断してはならない」という報告がはっきり書かれており、それに基づいた施策が策定されている。これまで文科省不登校への対応をゆっくりとした時間をかけて前進させてきたと思う。問題行動として捉えていたものが誰にでも起こりうる行動に変わり、とうとう180度変わった。これは、不登校への対応を決めた法令が存在しなかったから、可能なことであった。しかし、今後は不登校への対応はすべて確保法の引いたラインの上を走ることになる。ifの話ではあるが、調査研究協力者会議からの提言で不登校児童生徒に対応している多様な教育も義務教育とするのが良い、と出ても、確保法が縛りになって反映はされないだろう。

■こうした危惧について、推進している人たちは、全会一致で可決されたという附帯決議に「児童生徒の意志を尊重」するように書いてあること、これまでの文科省通知の内容が含まれていることなどがあるから大丈夫、と話す。しかし、附帯決議が全会一致で可決されるのは慣例でしかないし、法的な拘束力はないので附帯決議をもとに運用を左右することなどできない。「こういう考えがありましたから、目を通しておいてね」程度である。附帯決議に期待するよりも、条文に書かれている施策の策定や関係者間での情報共有、経済的支援の在り方についての検討などが確実に行われるように訴えることが、まずやるべきことだろう。

■二つ目の分科会では、フリースクール全国ネットワークの事務局から、国会ごとにフリースクール議連総会を開いてもらい、二年半後の見直しについてのエビデンスとなる事例を全国から集めたいという方針が出た。経済的支援や行政等との協働、フリースクールの情報などについて話が出た。

■東京都品川区や北区、千葉市、長野県諏訪市などで活動する人たちから話があった。各地でフリースクールに対する行政の温度差があり、適応指導教室運営のような行政との協働についてスタートしそうな話もあれば、確保法についての集会を開いて紹介すると「どのようなところがやっているのですか」と教育委員会に尋ねられたというような話もあった。これは北海道でもそうだが、教育機会確保法が出来たことは情報として知っていても、それにより何を行うことになるのかはっきりとわかっていない行政単位が多い印象だ。こういう場合に、行政がまずやるのがフリースクールと繋がるということで見学視察だが、実施されても担当者が変われば元の木阿弥になるという状況は、この日誌でも出てきた通り。

フリースクール全国ネットワークでは、東京学芸大にフリースクールの相互評価を目指した調査研究を依頼しているとのこと。これこそ確保法の下で政府主導で行われるべきものだと思うが、やはり民間なのだな。結局のところ、法律があろうとなかろうと、自分たちが必要と思うことはやってしまうわけで、そこに敢えて法律という枠を作った意味とはなんだろうかと思う。経済的支援だって、法律ができる前から福岡・京都・札幌では既に一定の仕組みを作ってきた。自分が関わってきたところでもあり、そうした仕組みを作るために必要なことは、法律の条文ではなく地道な行政との話の積み重ねや支援する人たちの結集であることはわかる。そこでこの分科会では、これまでのJDECでも話してきた、フリースクールを使う親の会の話や財務の部局がハードルになること、首長の意向は強く反映されることなどを改めて話したが、初めて聞いた話のような反応や素晴らしいアイデアのような受け止められ方をされたことには驚いた。

■最後に開かれたJDECミーティングで、広島のフリースクールの人が全体の印象として、法律について話し合われていたが日常と乖離した「空中戦」をやっているようだった、と発言したことに対し、フリースクール全国ネットワークからは法律について語ることが日常と繋がっているものであることだと返答したのが、とても残念だった。教育機会確保法に対して批判的な人だけでなく、身内の中でもこうした温度差・分断の状況が出来てしまったことの象徴的なやりとりだった。群馬や福岡に新たなフリースクールを作ろうとする人たちにも会えたのは収穫だったが、教育機会確保法に囚われずフリースクールを立ち上げ、全国と繋がりを作っていってもらえるだろうか。芥川龍之介じゃないが、法律成立後初めてのJDECで浮足立った雰囲気の中に、漠然とした不安が膨らんだ二日間だった。(水曜日)