漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

やさぐれ

■「男らしく」とか「女らしく」とか「高校生らしく」とかまったくうざったいと思っていた。「親子なんだから」「兄弟でしょ」、「友達」「彼氏」「彼女」、そんなカテゴリーもわずらわしかった。関係があって名前があるので、その逆ではない。名前に振り回されるのはおかしい。大学でフェミニズム関連の講義ばかり取ったのは、もっとも自由に近いと思えたからだ。(いまもそう思っている)

■「そんなに肩肘はらなくても」とか「もっと楽に生きたらいいのに」と言われたこともある。ぜんぜん違う。俺はこれが楽だし、もっと楽になろうと思ってやっている。名前に合わせる方が俺には苦痛なんです。

■大人になるにつれそんなやり取りも減り、最近ではすっかりぐうたら暮らしていたら、このあいだ、20年ぶりくらいに言われた。「そんなかたくなにならなくても、もっと楽に考えたらどうですか」。正直、油断しておりました。しかも市民活動界隈で。ブルータスお前もか。

■「あの団体と一緒になにかしようとは思わない」「あの人には近づかない」「協働とか連帯とかから距離を置きたい」「いっそ進んでつながらない」云々。そんなことばかり言ってたから、持て余したのかもしれない。偏屈なのは確かだが、他人をつかまえて「もっと楽に生きろ」というのは無神経だし失礼だろう。あなたから見れば大変でおかしなことなんだろうが、そして実際に変だったとしても、俺が選んでそうしていることになんの問題がある。

■「嫌ったり避けたりしてるのは、本心ではそうしたいと思ってるんだよ」「本当に関心がなかったら、そもそも感情が動くこともないよ」とも言われた。はいはい。そうですね。お前の考える定義を勝手にあてはめんな。本心から嫌いなんじゃ。ただでさえ暑いのによー。うんざり、やさぐれ。ビールくれー。