漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

『野生の思考』で語ることができる

■おはようございます。ボランティアスタッフの高橋です。

■最近自分が経験した「なにこれすごいなんかあれだね、もうすごいね」とことばで言い表せないような「クリティカルな気持ち」というのをことばで表現してくれるということが、非常に心地よいことが分かりました。自分が出会ったことばが「プリコラージュ」と「エンジニアリング」という2つのことばだったんですが、この2つで自分の経験をうまくことばで表現できることが、非常にうれしかったです。

■これに似たところが、先日不登校新聞の編集長である石井 志昴さんがフェイスブックに乗せていた記事でした。

「俳優・西田敏行さんが言うには「自然に見えるっていうのは、通常の演技よりも何倍も演技しないとそうならないんだよ」と。
不登校やひきこもりの人が持つ「当事者の感覚」。これも文章に落とし込もうとすると「当事者」というだけでは難しい。けども、北海道で、訪問と居場所の支援を行なう漂流教室・相馬さん。いま不登校新聞で連載をしてくれていますが、うまくそのことを言葉にしてくれました。

■「当事者」ということばだけでは説明が難しいから、「当事者の感覚」というところをそれ以外のことばで説明することが、うれしかったり、すっきりする気持ちになっているのであれば、高橋は石井さんに「仲間です! その思いがうれしく思うの仲間です!!」と言いたい気持ちです。

■でも、気持ちで気持ちを伝えあうのも悪くはないですね。「これね! すごいの!! やばいでしょ!! やばいよね! すごいね!!」「そうなの!! すごい! わかるの!? わかってくれるのもやばい!!! すごいよね!!」。これでもいいですね。こういう経験がないから「ことばで表現できる・してくれた」ということについてうれしく思っちゃうのかな。

■自分にとってうれしいことがほかの人もうれしいことなんだと思ってうれしくなった話でした。おわり。