■道庁後志総合振興局から委託を受けて、生活困窮世帯の子供たちへの学習支援を後志地区でしている。そのうち月三回は余市で居場所を運営していて、更にそのうち一回は「こども食堂」と銘打ってはいないが似たようなことをしている。
■今般、安倍首相が「子供の未来応援国民運動」の一周年集会で次のようなメッセージを出した。
日本の未来を担うみなさんへ
あなたは決してひとりではありません。
こども食堂でともにテーブルを囲んでくれる
おじさん、おばさん。
学校で分からなかった勉強を助けてくれる
お兄さん、お姉さん。
あなたが助けを求めて一歩ふみだせば、
そばで支え、その手を導いてくれる人が
必ずいます。
あなたの未来を決めるのはあなた自身です。
あなたが興味をもったこと、好きなことに
思い切りチャレンジしてください。
あなたが夢をかなえ、活躍することを、
応援しています。
要約すれば「貧困家庭で育っていても、こども食堂があるからがんばれ」と言っているこのメッセージは、こども食堂をやっている「おじさん、おばさん」「お兄さん、お姉さん」が語るなら、何もおかしくはない。現状、子供の貧困対策が不十分であるが故に民間が動き出しているわけだ。公的に支援を行わなければならないことは行政もわかっているから、集会のサイトにも「行政による支援策は引き続き拡充してまいりますとともに、様々な困難を抱える子供たちがその困難を抱えこむことなく、支援につながることができるよう、国、自治体、民間の企業・団体等が連携して取り組むことが必要です。」と書いてある。さて、総理大臣は「国、自治体、民間の企業・団体等」のうち、どこの立場の人であろうか。厭味ったらしく疑問形で書いてみたが、国に決まっている。国が何をしようとしているかを書け。「あなたの未来を決めるのはあなた自身です」その通りだ。子供達は国の責務を語らないような総理大臣がいる未来を望むまい。
■と、批判の言葉は語気荒く出てくる。しかし、こうやって批判をすると、首相は応援しようとして激励の手紙を書いているのに何故お前は批判をするのだと反発を覚える人もいるようだ。例えば、今回の話をネットで検索すると「安倍総理がこども食堂の子供に送った手紙にパヨク大発狂」などという見出しのまとめ記事がすぐに出てくる。きっと、批判に反発を覚える人も、こども食堂を応援したいという思いはあるのだ。だから、同じように思っている首相の手紙を批判されると自分が批判されたように感じるのだろう。そういう人から見ると、分断を生んでいるのは批判する側である、ということになる。え、ちょっと待って。応援じゃなくて実際やっている身としては、上に書いたように国の責務を語り、それを実行してもらわなければ、ずっと同じ状況なのですが。応援するのは、貧困の当事者とさして関わることもないが少し気になる第三者という立場なら、やれることの一つでありがたい。できることなら、応援からもう一歩進んで、寄付なり手伝いなりしてもらえるともっと助かるけど。でも、首相は違う。上に書いた通りだ。首相の手紙を批判する人は、あなたを批判しているわけではなく、首相を批判している。
■ここまで考えて先週のアメリカ大統領選挙の結果を思ってしまった。あの選挙ではポリティカル・コレクトネスに反発する声が大きく出ていた。リベラルと括られる人たちが何かにつけて「それは民主的ではない」とか「差別的だ」とか文句を言うので、「正直に」「素直に」語ることができない・不満がたまる、というところ。まさに、この手紙を巡る議論が当てはまる。批判をすると同時に、批判は誰に向けての言葉であるかを理解してもらい連帯してもらう活動をしなければ、かの国と同じ状況が生まれる。
■もうそうなっているって?おとっつあん、それは言わない約束よ…。(木曜日)