■13日に行われた「子どもの貧困対策センターあすのば」交流会・意見交換会の報告を遅ればせながら。あすのば自体の記事はここ。
■参加者は全道から50人ほど。道保健福祉局や自治体からも休みだというのに職員が来てくれていた。そんなに広報をしていない割には、まあまあかな。午前中は札幌・釧路・余市で育った若者の話を聞いて、それを元にテーブルに分かれて話をするという形の交流会をした。
■話をした若者は、漂流教室のスタッフや釧路のネットワークサロンで過ごしている人、後志のサンデースクールの参加者など。会場の参加者が彼ら聞くという時に、どうしても気になったのが「若者のエピソードを貧困問題を聞いて考える」という形式が生み出す分断の感覚だ。どうしたら自分たちと目の前で話す人が同じ世界で生きていると感じてもらえるか。今回は、若者の自己紹介の時、貧困エピソードなしで話してもらうことを試してみた。すると、まず、普通の高校生や大学生として趣味の話や何を勉強しているかなどが出てくる。そこから四方山話をしているうちに、どうしても貧困ゆえの話が出てくる。一通り話した後に振り返ってみた。全員が自分たちの語りを確かめ合ったときにうなずいたのは「貧困の話だけで自分のことは知ってもらいたくない。でも、それを話さないと自分を知ってもらったことにならない」という思いだった。貧困問題を考える・支援するという時、そこにフォーカスすればするほど、当事者の全体像からはかけ離れていく。それを意識しながら、貧困について考えるとしたら、どういう語りが必要になるのか。
■午後は、道庁から子どもの貧困対策推進計画の話を聞き、支援現場からとして自分が話した。新年度から道庁の人とも計画については場づくり・相談支援の場について話し合いを持つことになっているのだが、必ず考えなければならないのが、北海道での場づくりの難しさだ。切り口として、人口密度の点から話をしてみた。
■札幌を除いた北海道の人口密度は42.5人/㎢。全国は336人/㎢なので、1/8だ。この42.5人の内、0〜19歳の若者を人口動態調査から導き出すと、6.8人。現状、貧困状態にある子供(平均年収の半分以下の世帯で暮らす子供)は6人に1人という統計なので、札幌以外の北海道だと一キロメートル四方に一人、貧困状態にある子供がいると考えればよい。拠点を作って人が集まるという場づくりの難しさが予想される。
■ここから先はその時に話さなかったおまけ。まあ、上記は平均の話なので、万単位で人が住んでいる市町ならば場づくりは可能だろうし、人口10万人を一区切りとして圏域を考えるとかでも出来るかもしれない。しかし、郡部での対策は、貧困に限らない地域づくりを巡る諸問題と合わせて考えなければ、難しそうだ。なぜなら、統計をもう少し読み解くと、先ほどの42.5人/㎢の内、65歳以上は12人であり、この人数は高齢者介護をどうするかの問題になる。そして、残りの24人が20歳〜65歳の労働人口となるが、これは男女混合であり、比率は大体半分。男女が12人ずついることになる。この人数は会社で働くのではなく、全員が公務員として地域のインフラ運営に携わらなければならない人数ではなかろうか。
■交流会・意見交換会、共に結論を出そうという話し合いではなく、なんとなく話ができた感だけでおしまいになっていたとは思う。実際、子供の貧困といった時に、一体それは何なのか、実感としてつかむことができず、わかりやすい事例に飛びついて、それをどうこうするのが支援となってしまうことが多い、子ども食堂はその最たるものだと思っている。決して、悪いことではないけれど、それが解決しているのは問題があると思った人の問題感覚に過ぎないことが往々にしてある。我々が「問題」と呼んでいるものの正体は何であるのかを考えるという方向性は、不登校・ひきこもりについて考えることと相似形だ。これは少し面白い。(水曜日)