漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

第6回JDEC(その2)

■前回の続き。研究者のひとり、富山大の高山さんは教育基本法第五条の2を引き、普通教育には、個人の能力を培うこと、社会の形成者を育てること、のふたつの目的があると解説する。

2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする

その上で、フリースクールでの教育について、前者を疑う者はいないだろう、だが後者はどうかと問いかける。フリースクールをよく知らない人はどう思うだろうか。フリースクールは、社会の形成者を育てていると自らをもっとアピールせねば、理解は得られないのではないかと。

■大阪大の藤根さんは公共性を1)official、2)common、3)openのみっつの要素に分け、フリースクールは2)および3)を以て公共性があるといえる可能性がある、と話す。そのためにはもっと開かれたところである必要があると説き、関西の「ふりー! すくーりんぐ!」の例を挙げた。「ふりー! すくーりんぐ!」は関西圏のフリースクール、デモクラティックスクール、親の会などが集まってできたネットワークで、情報交換や交流イベントを企画している。理念以外で繋がれるものを探すことが大事という提起はエキサイティングだった。

■しかし、会場の反応はイマイチだった。その理由も分からなくはない。前日のフォーラムで、「学校を休んだって怠けてるわけじゃない。病気でもない。普通に扱ってほしい」という子供の声が紹介された。どこのフリースクールもそういった偏見と戦ってきた。偏見には「正しさ」を以て立ち向かってきたが、「正しさ」が必ずしもみなに好かれるわけではない。頼りとしてきた「正しさ」が活動を分かりづらくし、団体を閉じさせたというのは皮肉な話だ。

■正しさはそのまま持っていればいい。その上で、周囲に伝わる言葉を探さねばならない。そのためには改めて団体を見直さなければならない。これは、前日に出た「支援者をどう増やすか」の分科会にも通じる話だ。そのことをどれだけのフリースクールが理解したか。理解して、どれだけ動けるか。俺もまた考えているのです。