漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

第6回JDEC

■色々なフリースクールと交流して、自分たちの活動を捉えなおしたり、ヒントをもらう機会であるこの大会だが、今回は参加人数が少なかったように思う。時期や費用がネックなのもあるけれど、もしかしてこれまでで一区切りついているのかもしれないと思うシーンもあった大会だった。

■初日のシンポジウム「子どものニーズはどう変わってきたか」は、供のニーズというのはほとんど見えなかったけれど、面白かった。全国五つのフリースクール東京シューレ・札幌自由が丘・兵庫ふぉーらいふ・福島寺子屋方丈舎・長崎クレインハーバー)が創設からの歴史を年表にまとめて、比較できる資料を見ながら話をしていた。創設者個人の不登校・登校拒否との出会いが問題意識に繋がり、子供が来る場所を作り、運営を継続させるために外部との連携を模索する。だいたいどのフリースクールもこういう流れだ。そして、外部との連携を模索するときに初めて、自分たちの持っている性質をとらえなおし、特徴のある活動を展開していく。

■この外部との連携が、フリースクールにとって如何にハードルの高いものであったことかを、しみじみ思い出す。子供にとって最善の利益を考え活動する、という言葉も良く聞くが、様々な行政(福祉や医療、なんといっても教育)との繋がりが始まるのは、2000年代それも後半以降が圧倒的に多い。それぞれの活動が、中学校や高校を作る/福祉サービスを運営する/就労支援を行う等に変化していくのだ。シンポジウムのタイトルに「子どものニーズ」と入っているのはこの変化を指すのかもしれないが、果たしてこれは「子どものニーズ」であるか。

■初日後半は福祉・就労・若者支援事業との連携についての分科会に出席した。各地のフリースクールが行政と連携してサポステ事業や自立援助ホームを運営している報告を聞いていると、もやもや違和感がたまってきた。不登校の子供らには「一人ひとりが大事にされる居場所を作ろう」というようにシステムをどう作る考える人たちが、就労支援になると対象者個人をどう変革するかの話に終始するのだ。

■最初のシンポジウムタイトルに「子どものニーズ」という言葉を入れて活動を語ることと、就労支援を語ると個人の変革が課題になってしまうことは、離れているようで通底している部分がある。それは、子供・若者の在り様に自分の問題意識を刺激されている、という点だ。「不登校」を中核に据えて活動するときには、学校制度という社会システムに対峙するものとしてフリースクールという新たなシステムを創造する必要があったが、今では「ニーズ」という個に由来する問題を解決するために、既存のシステムを使おうとしているのだ。

■既存のシステムに乗っかることが難しい人たちに対しては、個人を変えるのではなくどういうシステムが良いかを考える方が、われわれフリースクールを作ってきたものにとってはやりやすいと思うのだが、運営を続ける費用をどう捻出するかの方がフリースクールにとっては差し迫った問題なのだ。漂流教室も例外ではない。さて、ではどうしていくか。舵を切る時期が来ている。既存のシステムをどう利用するかではない方向を目指すつもりだけどね。

■二日目の分科会は、「フリースクールの学びと子ども参画」に出席。こちらは、デモクラティックスクールやフリースクールがカリキュラムから運営に至るまで様々な面を子供と行っている話を聞いた。子供たちがどのような時にルールを求め作り出すのか、気になって質問した。何人かの答えで共通していて興味深かったのは、そのルールがいわば試しに作られたもので、いつでも変更できるものであると共通認識した上でルールを作っていること。そこがあるのと無いのとでは大いに違う。

■こうした話し合いを行うことが、恐らく上で考えた、新たな事業の形を考えることにつながるはずだ。道は遠いが見えている。進んでいこう。