漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ひとりで考える

■3月8日のイベント「しゃかいさんか」について改めて。

■全体に感じたのはふたりとも思考のバランスがよいということ。たとえば「自分のやりたいことをする」という話が出る一方で、「他人の要求に応えると思いがけない反応がある」という話が出る。「自分のできる範囲で活動する」と言いながら、「関係ないところに出向くと居場所があったりする」と言う。「熟すまでひとりでいること」と「他人と話をしたいと強く思うこと」の両方があって、外に出ようと思った、とか。

■だから両翼が必要なんだね。片方しかないと同じところを旋回するだけだ。「消費≒労働≒就職≒社会参加」以外のやり方ってないの、というのが企画意図だったんだけど、これももう一枚の翼を用意することにつながる。

■個人的にはエンジンは三発あるといいと思っている。両翼ともうひとつ。「Third Place」なんて言葉もあるみたいだけど。たとえば、仕事をする、深夜徘徊のイベントに参加する、自分でダベ○○シリーズを企画する。これでみっつ。今回の講演を聴いたスタッフから、自分も企画してみたい、という声が上がって、さっそく効果ありじゃないかと嬉しい。

■いっぱんじん連合の活動はフリースクール運営という観点で見ると、うなずくところがとても多かった。たとえば深夜徘徊。薄暗いところでお互いがはっきり見えない。向かい合うのではなく横に並んで歩く。なので知らない人同士でも話がはずむ。これは訪問で関係をつくるときに似ている。喫茶店に丸一日ずっといて、人が来れば話す。いつ来ていつ帰ってもいい。これはフリースペースと同じだ。「いけふくろうの会」もそうだが、参加の敷居を下げるには、「見てからやめる」という選択肢を残しておくのがいい。喫茶店に行って、様子を見て、やっぱり無理だと思ったら普通の客のふりをしてコーヒーを飲んで帰ればいい。深夜徘徊に出たかったけど今回はパスと思ったら、駅利用者のふりで通り過ぎればいい。なまじ場所を構えることで不自由になる場合もある。

■ひきこもり名人の一番大事な活動は、ひきこもりについてひとりで考えること、だそうだ。これまた非常に共感する。俺がここにあーでもないこーでもないと書いていることも、結局、普段ひとりで考えていることの発露だ。対話だコミュニケーションだというけれど、ひとりでアレコレ沈思黙考する時間があって初めてそれが生きる。前に漂流教室は対話スパイラルでできてると書いたけど、あれも、ひとりでする訪問があってこそだ。

■人数と目的や役割のマトリクスが書けそうな気がするな。ひとりで考えよう。

■その点、進行の藤井さんは非常にうまくひとりと複数を行き来している。ブログを読めばわかるが、じっくりひとり検討し、誰かに会いに行き、また考え、企画を立ち上げ、実行し、さらに考え、再び誰かに会いに行き、というプロセスを地道に続けている。なんとなくだが、気づきのヒントは勝山さんに、アイディアのヒントは宮原さんに、実践のヒントは藤井さんに、と分けられそうな気がするな。

■参加者は50名弱。ぎりぎり直前に、しかもネットを介しての告知しかしていないのにこれだけ集まったのはよかった。事前の打ち合わせでもっと訊いてみたいことがあったので、第二弾をしてもいいかもしれない。それぞれに負担のない範囲で。

■そうネット。インターネットは、内と外をつなぐ曖昧な場所になれたら威力を発揮する。往来に面した店先みたいな感じ。ウィンドーショッピングをして、よさそうだなと思えば店に入ることもできる。店側も並べて反応を見ることができる。これも敷居を下げるのに役立っている。