■余市からの帰り、ボランティアスタッフと「居場所とは何ぞや」という話をする。来年、そういう講座を持つかもしれないので、その下準備。
■一昨年の日本臨床教育学会で、漂流教室の訪問の特徴は「存在そのものの承認」「時間の整理」「きっかけの提供」だと発表した。具体的には、
- 目的を持たないことで、「なぜ会うのか」「なぜ続けるのか」という問いが生まれる。「何もなくても続く関係」は、互いの存在そのものを認めることに繋がる。何かを提供しなくても「大丈夫」な関係
- 訪問が一週間の目印になる。そこに向けて自分の生活を整理することで、自然と過去が総括される。タイムスケールの変化
- 訪問が日常化することで無数の「きっかけ」を提供できる。それのどこかが変化・成長につながる。一緒の時間をすごすこと自体がtry & errorの連続
といったことであり、フリースペースも形を変えた漂流教室型アプローチだと説明したら、フロアにいた、立命館大の高垣忠一郎さんから注釈が入った。曰く、いま挙げたことはすべて「居場所」の特徴である。だからフリースペースが訪問の延長にあるというのは逆で、君たちはいわば「出張居場所」をやっているのだ。
■「出張居場所」という言葉が面白かったので、よく覚えている。とすれば、漂流教室の活動を「訪問」と「居場所」に分けるのではなく、「居場所」活動の中に訪問とフリースペースがあると整理すればいいのか。「居場所」活動という言葉もよく分からないけれど。
■出張居場所。居場所出前というのもいいかもしれない。訪問居場所じゃダメですか。そんな話をしていたら、あっという間に札幌に着いてしまった。ミーティングでもたまにはこんな話をしたいんだよなー。今度持ちかけてみよう。(11/28夕)