漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

不登校の先にあるもの

■7/1(金)、フリースクールネットの教育フォーラム。「不登校の先にあるもの〜親の成長、子の成長」という演題で、不登校経験者2名と、子供が不登校だった保護者2名に話をしてもらった。聴衆は約60名。当事者の経験談で、新聞に告知が載ったにしてはやや少ない。ニーズの見極めやフォーラムの形式を考え直す必要がある。

■元当事者2名の話に共通していたのは、高校から学校に行きだしたこと。もともと高校に大して期待はしていなかったこと。しようがなく選んだものの中に興味を引くものがあったこと。それがその後の進路につながったこと、など。興味は目標に変わり、どちらも今は大学に籍を置いている。

■こうして見ると実に普通だ。成長って普通こういう形で進むものじゃない? 違うのは、義務教育期間中、学校に行ってない時期があった、ということだけだ。

■自分で企画してこんなことを言うのは何なんだけど、いつまで普通のことを普通だと言い続けなきゃならないんだろう。学校に行ってないだけで子供がまともに育たないなら、そりゃ社会の力が弱いんだよ。

■タイトルは「不登校の先にあるもの」だけど、先も何も、彼らはずっと普通に成長してる。ただ、一時期それが認められてなかっただけだ。これからも悩んだり楽しんだりしながら、多分自分の人生を生きていくでしょう。

■保護者2名の話に共通していたのは、時間をかけて変化を見ること、子供の意思を尊重すること。つまりは「ひとりの人間として扱う」ということだ。学校に行かなくなったことで他人と比較しないで済んだ、という発言は決して強がりではないと思う。誰でも同じように進むわけじゃない。でも、それが見えなくなってしまう瞬間がある。そんな自分に気づいたということじゃないだろうか。

■頼もしいと思ったのは、若者2名が全部自分の力で"今"を獲得したように話してたところだ。子供らが家でテレビを観てるあいだに親はあれやこれやと情報を探す。タイミングを測り、相手のことを思いやって将来の話をする。恐らく彼らの親もそうしたはずなのに、そんなことをちっとも気にかけてない。そう。それでいい。伸びてるときは不遜なくらいがちょうどいい。体験談を話したうちのひとりは漂流教室の利用者だ。でも漂流の「ひ」の字も出なかったね。振り返ってるヒマなんてないもんな。気にせず進め。