漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

第49回道民教 in 釧路

学校に行きたくないという子が出たら!

○絶対にひとりで抱え込まないでください。周囲の先生・機関によく相談してください。
○子ども、親とお話しをする時、まず、相手の言うことをよく聞いてください。
原因をあれこれ詮索しすぎないでください。原因を見つけ出し、また、解決することは難しいです。子どものいうことは、きっかけであり、子どもにも原因はわかってないことの方が多いです。
※多くの場合に担任批判がよく出ます。子どもも親も困ってどうしていいのかわからない状態が考えられます。相手を気遣う余裕などないのです。特に親の気持ちを安定させることが大切です。
○どうしたいのか、何ならできるのかは、自分で決めさせてください。たとえ自分で決めてもできないことのほうが多いのですから、親や教師が提案することはほとんどできないと考えた方がいいかもしれません。(一度できたことも、次にまたできるとは限りません。)
※どうすればいいのかマニュアルなんてありません。一人一人違うのですから、良かれと思うことをやってみて、結果が良かったら続けてみる、だめだったらすぐに切り替える、そんな試行錯誤でやっていくしかないと思います。

○子どもたちに自己選択させながら、一週間に一度でも好きなことを学ばせることが大切だと考えています。そんな場をさわやかで作っていきたいと思っています。
○どんどん子どもとぶつかり合って…「でも先生はあなたのことを応援するよ」のひとことを言えるようにしたいと思っています。
○昔のように親(家庭)だけで解決できない状況が増えています。親同士が語り合える場になればと考えています

■と、これはどこかのフリースクールではなく、適応指導教室のレポートからの抜粋。「ひとりで抱え込まない」「原因の詮索ではなく現状対処」「自己選択の応援」「親同士のつながりを築く場でもある」。全国的にどうかは知らないが、教研集会ではもうこれくらいのレポートが当たり前になってきた。フリースクールから言うことないじゃん。

■いや、これまでさんざん語ってきたことがようやく実を結び始めた、と捉えるべきか。じゃあ、フリースクール次の一手はなに? 俺は恐らく「時間」だと思う。

■学校制度はどうしても「六・三・三」制から逃れられない。しかし、人の成長はそう単純じゃない。成長を年齢で区分けしない、長い付き合いを保障する視点も必要だ。それは今、フリースクールが担っている領分だと思う。

■加えて、「何者でもない時間と空間」の保障。自己形成、自我統一にはひとりの時間、空間が必要なのじゃないか。「学校」なり「家庭」なり「地域」なりで「他人」と過ごし、ひとりになってそのときのことを振り返る。そうやって人は自分を構成し直していくんだと思うが、先ず「何者でもない時間と空間」というのが案外ない。引きこもるのは、ひょっとして「ひとり」の確保のためか、と思わないじゃないが、あれはあれでハードルが高い。(このことはそのうち)

■そして、「ひとりのとき振り返りやすい環境や他人」というのも案外ない。つきあう人数が多ければ時間がそれだけとられるし、地域も家庭も学校もそれぞれ影響しあって、完全に見えなくなるということがない。その点、フリースクールくらいの関係は、帰っちゃったらそれまでの比較的楽な存在なのじゃないか。

■というようなことを喋って帰ってきた。そうだ。フリースクールは教師を目指す学生の、自由な教育研究の場所にもなっている。釧路教育大の学生が、10年以上北海道自由が丘学園で授業を受け持っている。その報告もあった。教える側が興味と感心を持って授業をつくっている、面白い発表だった。

■予想以上に学校とフリースクールの壁は薄い…のかもしれないな、と思った今回の道民教だった。わからんけどな! 道民教不登校分科会、今年の参加者26名(世話人含む)。