■『おじさんの話』という本を小学生のときに読んで好きだった。迷子になったことがあるかとか、発明の仕方とか、おじさんが甥に何だかよく分からない話をする。『パパ・ユーアクレイジー』といい、どうも俺は、大人が子供に分かったような分からないような話をする物語が好きなようだ。
■といって、何でもその類で済ますわけにはいかない。これは大人と子供じゃないけども、先週来、いやもっと前からか、ミーティングの参加者減について考えている。ひとつにはガイダンスが不十分なんじゃないだろうか。ミーティングの意義は第一に経験と感情の共有だ。訪問でこんなことがあった、こんな思いをした、こんなことを考えた。それを話し聞き、何となく肩の荷を降ろす。訪問はどうやったって一人でやるしかないので、せめて後ろに気心の知れた人たちを置いておきたい。
■共有が主たる目的なので、別に正解を教えてもらうような場所ではない。俺も山田も未だ試行錯誤の中、若干の経験から見えることを話してるに過ぎない。そういう意味ではボランティアスタッフとほとんど同じところに立っていると思っているのだが、向こうはそうは見てないかもしれないね。これがふたつ目。正解があると思ってしまうと、そこから外れないよう、おかしなことをしないようにと萎縮する。俺や山田に言われたことを叱責と勘違いする。皆の前で否定されたと悲しくなる。そういうことはないように、と思っていたけど、自分のイメージ以上に「エライ人」になっちゃってる恐れはある。
■一点目は折りに触れ伝えていくしかないかな。なぜミーティングをするのか。なにを大事に考えているか。二点目はどうしよう。スタッフ内で意見交換が活発になったら解決するだろうか。それともこれもガイダンスか。俺や山田の言うことは正解じゃないんだよ、といちいち断りを入れる。それもめんどくせーなー。でもこのままじゃダメなのさ。
■結局、接触を増やすのが地道だけど確実な方法なんだよな。訪問報告を送ってもらうのも、交通費を取りに来てもらうのも、言葉を交わしたり顔を合わせる機会を増やすためなんだけど。これももっと伝えないとダメか。分かってるだろうと安心せず、機を見、作り、手を変え品を変えて。または愚直に繰り返し、か。ふー。