漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

駅周辺回遊

■キュッキュッと新雪を踏みしめて星槎国際高校札幌校へ。星槎教育研究所主催「訪問サポーター研修」に参加してきた。講師は九州看護福祉大学准教授の上石隆雄氏。

■"引きこもり家庭への訪問ボランティアが学ぶべきこと"というのが研修のテーマで、具体的かつ細かな手法の説明が行われた。例えば、カウンセリングでは傾聴からトレーニングが始まる。しかし、訪問ボランティアはアサーションから始めなくてはならない。なぜなら、見も知らぬ人が家庭というエリアに侵入するのだから、自分が何者でどういう目的で来たのかを簡潔に的確に相手に伝える必要があるからだ。

■だから、ロールプレイも自己紹介の訓練から始まって、玄関先からテーブルに着くまでの行程を何度も繰り返す。挨拶の仕方、家へのあがり方、話の切り出し方などなど微に入り細に渡って指導する。指導の内容は一言一句変えてはダメで、なかなか厳しい。その厳しさは、細かな技法の積み重ねが高度な技法につながるという講師の方針から来るのだろう。この考えには賛同する。

■そのほかに語られたこと、および配布資料に書かれていたことから幾つか。

  • 訪問は一種の契約関係により成立する援助活動。第三者の要請による「援助としての訪問活動」はあり得ない
  • 一回の訪問で多くのことをしようと思わないこと
  • けじめが大切。訪問の切り上げ方が大事。時間を守りずるずる延ばさない
  • 訪問は回数が増えていく傾向にある。きちんと回数を決めること
  • だんだん馴々しくなってしまうものなので、節度が大事。自己紹介をきちんとするのもそのため
  • 現在に着目し、過去は本人が問題にしたときだけ触れる(現在を大事にするという考え方は自己紹介でも徹底していて、履歴を話すのではなく、今の自分の状態を話すよう指導される)
  • 2人の間に余り物を挟まない。つい外出したり物の貸し借りをしたくなってしまうが、それは我慢が足りない
  • 沈黙を恐れないこと。沈黙に耐え切れず援助者が一方的にしゃべってしまうことのないようにすること
  • 会話は自分の興味のあるものをぶつける。相手をどうこうしようという考えではうまくいかない
  • 訪問だけで援助活動を組み立てない

「会話は自分の興味のあるものをぶつける」というのは、相手への働きかけが会話の中心になると、どうしても過去か未来の話になってしまって、「現在に着目する」ことが出来なくなるからだ。こうして見ると、「漂流教室」のやり方と通ずるところがとても多い。「2人の間に物を挟まない」「沈黙を恐れないこと」というのは、ミーティングのたび確認してることだ。

■研修中何度も、「プロは違うがボランティアはこうして下さい」という断りがあった。「漂流教室」の活動の肝は専門性と素人性の間にあるので、"ボランティアの手法"と共通点が多いのは全く構わない。団体としては構わないが、運営者たる俺や山田が同じところにいるのは困る。訪問までの流れを説明した中で、「アセスメントが出来ないと訪問はうまくいかない」という解説があった。今回の研修は今までのやり方が間違っていなかったという確認。次に学ぶべきはそこだな。

■訪問サポート育成の目的の中に、引きこもりの目指すところとして「TAX PAYERとして活動し生活する」とあって、これはなかなかいい目標だと思ったね。自立だのなんだのよりずっと具体的でわかりやすい。額は生活に応じた分でいいわけだし。「とりあえず税金納めたいんだよね」って、「してやってんだ」という雰囲気すらあって、卑屈な感じしないしね。


■研修終了後、紀伊国屋書店へ。前に紹介したサイエンス・カフェの講義をほんのさわりでも聴けないかと思ったのだが、人が多すぎて断念。視線が気になる人は思った以上に多いんだな。講義内容はサイエンス・カフェのサイトに動画で紹介されるはずだから、それを観ることにしよう。

■それから環境サポートセンターへ岩合光昭のシロクマの写真を見に行き、大丸にサッポロカイギュウの標本を見に行きと、札幌駅周辺をくるくる回って帰宅した。