漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

グリーンデイ

■懐かしのアウクルで一緒にやっていたezorockが主催するグリーンデイというイベントに知り合いが出るので参加。といってもオンラインで家から。

■「社会は住まいを奪う」というテーマで、札幌で家を失った人たちへの住居支援をしている知り合い(毎週土曜日の夜回り仲間)、コロナ禍で経営が苦しいことから知り合いの団体と定形して住まいを失った人に部屋を提供し始めたゲストハウス経営者にNPO支援団体の人が司会をして話した。話しは北海道でホームレスがどのように生活しているかとそれについての質問が中心になったが、自分の関心としては、いつも夜回りで会っている長期の路上生活をしている人たちとコロナ禍で増えてきた家を失った人たちへの支援の違いだった。これ、不登校にも、長期に渡って学校に行っていない人と行かなくなり始めたばかりの人に対しての支援があまり変わらないことへの違和感はあるのよね。

不登校は、当事者にとってはそこから始まる学校教育からの疎外とそれに伴う人生の送りづらさという長期的な問題になることが多い一方、周囲にとって不登校は原理的に短期の支援対象にしかならない、特に学校にとってはその傾向が強い。この、周囲が長期的支援の視点を持ちづらいという問題は構造的に発生していると考えられ、個人の意識変革だけで対応するのは辛いはずだ。ホームレス支援のように、なったばかりの人と長期化した人の対応を仕組みとしても分けた方がいいのではないか。具体的にいえば、ある程度の期間が経過したり本人の意思などを考慮して学校復帰は支援策として取らないという仕組みを学校が持つということだ。

■ゲストハウスの経営者が何故ホームレス支援と繋がったのかという話しは、漂流教室が始まった時に通じるものがある気がしたので一緒に飲みたくなった。なので終わった後に会場に行って飲んだよ。(火曜日)

肩が痛い

■漂着教室最年少利用者。生後一か月半。山田とこれからの世の中について相談中。

■2月は逃げるというけれど早すぎる。毎年言っていることだけど今年も早い。もう19日。20日までと頼まれていた書類があったんだけど、20日って明日じゃない。おかしいな。まだ一週間くらいあると思ってたんだけど。ということで、急ぎ作成中なのですが、ここのところ左肩が痛いのです。これまでにない痛みで、ひょっとしてこれが五十肩というやつか。でも、腕がぜんぜん上がらなくなるっていうから、まだ通常の肩こりなのかもしれない。それか、抱っこのせいで痛いのか。とりあえず肩甲骨を動かそう。

岡村ちゃんが「みんなのうた」で歌っているので、カーラジオはもっぱらNHKにしている。国会中継が流れるのだけれど、これがひどい。なにを聞いているかわからない質問に、なにを答えているかわからない答弁。繰り返される「個別の事例にはお答えできない」「仮定の話にはお答えできない」。じゃあ、なんなら答えられるのか。ぐったりして訪問に向かうことになるので、あまりよくないような、しかし、ここから目を背けちゃいけないような。そりゃ肩もこるよ。生後一か月半にはわからない苦しみ。でも、向こうだって、こっちが想像つかないような大変さを抱えてるかもしれないしなー。

パブコメ案内(札幌市)

■札幌市は現在、市内二カ所目の児童相談所設置を計画しています。そのほか、子どもの権利擁護や保護者支援拡充などを定めた「第3次札幌市児童相談体制強化プラン(案)」を作成。パブリックコメントを募っています。締切は3月17日(水)まで。下記リンク先より意見を送ることができます。

www.city.sapporo.jp

■また、公立夜間中学校の設置基本計画案への意見も募集しております。こちらは3月5日(金)までです。

www.city.sapporo.jp

求煉獄さん

■集中力が全くないので私も煉獄さんにおでこにピタッと指で押さえつけられながら「集中!」と言われたいです。一週間経っても無限列車から降車できていない気分。今日はずっと途中で止まっていた単行本を借りたので無惨を倒すまで読んでこようと思います。子が寝たら。

■しかしこれは2回乗車してもいいなぁ。次は4DXで観たい。同じ映画を2回観たいと思ったことはないけど、無限列車は2回乗車したいです。また訪問先の子と一緒に行こうか。いやでも銀魂の映画も気になるぞ。

追いつかない

■皆さんこんにちはボラスタの山川です。

■この間、新しいアニメを観ようかなと思ってなに観ようかなと考えていたら弟から「呪術廻戦面白いよ」と聞いていたので観てみることにした。するとまぁ面白くて見事にハマってしまった。簡単に「呪術廻戦」説明すると具現化した呪いをお祓い(戦闘)するというお話です。キャラが多くてかっこいいし、主人公がまあ強い。コンクリートに吹っ飛ばされてもほぼ怪我しない。夜更かししてはアニメを観ている。そして「鬼滅の刃」も新クールが始まる。エヴァも新たな映画が出る。そして何より「SLAM DUNK」が映画化が決定されたのは本当にうれしい。この機会にマンガ読んでみようかしら

■コロナが多くなってから色々な動画配信サービスが力を発揮していた。YouTubeでは様々なアーティストがライブ映像を配信したり、無観客ライブをやったりと家に居る時間に楽しめるようにしてくれているなぁと思った。ネットの記事でも[amazonプライム・ビデオ]に登録して映画を観たりするのが急増したと書いていた。家から出られないのは少し残念だけど、今はアニメを観て楽しみたいと思います。ではまた。

同じ言葉を使っているのに

■保護者交流会から一週間経っても、あの場で話されたことはまだ心の中で引っかかっている。何がと言って、どうにもこうにもコミュニケーションの成り立たなさを感じているからだ。相馬がいうように、「休む」のは悪くないと一言入れて欲しいと要望を出したら、今の教育委員会はハイと答えてくれそうな気がする。しかし、その「休む」は登校に資するものだから、という前提があると感じている。

■こちらの考えている休みは休んだ結果どうなるかは不問に付している。強いて言えば、後のことは考えず今その瞬間を過ごすことの出来る魂の休み、とでも言えようか。これは相馬が書いたように、いかに遅滞なく、またストレスなく学校へ戻るかというスタンスを支持するための休みとは違う。

■つまり、教育委員会と同じ「休みは必要です」という言葉を使っても、位置づく文脈が異なっているので対話していると齟齬が生じるのだ。齟齬が生じるならばまだ良い。そこから対話が生まれる可能性があるから。最悪なのは、同じスタンスですよねと違いに目をつぶり自分たちのやりたいことを推進する権力のムーブメントだ。

文科省或いは各地の教育委員会は、休みを取ることでストレスを軽減させながら学校復帰を目指し、それに乗らない人は学校以外の学びをする選ぶものとして外部機関に任せる、という絵図を作りつつあるのではないか。最終的に、不登校対策=学校復帰という以前からの対応は決して変化させること無く、むしろこれまで以上に巧妙に固定化させる。これをいつかのタイミングで発表するのではないかと危惧している。(火曜日)