漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ぐだぐだ土曜日

■コロナ感染者数が落ち着いてきて、なんか平気の平左な感じがしてきましたね。ちょうど、昨年9月ころくらいの感覚か。さて、第4波が来るのかな。その前にワクチン接種で抑え込めるといいのだけれど。基礎疾患として睡眠時無呼吸症候群があるので、優先的に打てるはずの俺です。どういう風に連絡くるのかな。

■最近の土曜日は金曜夜勤明けでぐだぐだ過ごしていて夜回りも休んでいる。そろそろ行こうかと思っているけど。そういや、夜中に地震がありましたね。あれは全然気づかなかった。ホルスくんと一緒にお布団でころころしていたよ。(火曜日)

頭を抱える

■さてさて、噂の保護者交流会の資料をもらったので、じっくり読んだ。

hyouryu.hatenablog.jp

保護者同士の交流タイムにさきがけ、教育相談室職員による講演があった。スライドの内容がそのまま資料として配られている。演題は「教育相談室から見る子ども理解~不登校児童生徒の支援について~」。内容は大きく分けて4つ。

  1. 不登校に対する基本的な考え方
  2. 教育相談室から見る不登校
  3. 具体的な支援
  4. 保護者と子どもを支える人材や関係機関

■項目1では、行き渋りの子供の状態や、それを見た保護者の心理状況を説明する。前日までは学校に行くと言い、本人も行くつもりだったのに、朝になるとおなかや頭が痛くなる。親は「今日も行けなかったらどうしよう」と不安になり、欠席連絡の負担や将来の心配につぶされそうになる。せめて行けない理由がわかればと思うが、子供に聞いても答えてくれない。よくある光景だがこれについて資料では、

  • 子ども一人一人、不登校の要因や状況は異なる。複数の要因が重なっている場合もある。個々の状況に応じた関わりが重要
  • 子どもを取り巻く環境(人・場所)によっては、誰でも起こり得る

と説明。学校に行き渋るのはあなたの子だけではないし、理由はときに複雑で本人にもわからない場合もある。「子どもを取り巻く環境によっては」というのだから、本人のせいでもない。模範的な説明だと思う(強いて言えば『は』と句読点で強調した理由は聞きたい)。冒頭の不登校の定義をのぞいては。

不登校とは
「学校に行こうと思っている…」けれど「行けない」

ポイントはここ。これがずっと影響する。

■項目2「教育相談から見る不登校」は、不登校のきっかけや要因について、コップの水のたとえを用いて説明する。さまざまな不安やストレスがたまり、コップの縁からあふれてしまう。あふれさせないためには適宜ストレスを発散、解消することが必要だ。

■相談事例から見える不登校のきっかけや要因は多岐にわたる。友人との関わりや学習への不安。宿題を終わらせてないことへの罪の意識。給食、スキー、学習発表会。学校自体が怖い。先生が怖い。家にいたいなどなど。それらについて小学校低学年、中学年、高学年、中学校と四段階にわけて「支援の視点」を解説する。山田の日誌にある「小学校から中学校の引き継ぎの時には保護者から働きかけをしてほしい」もここに出てくる。正確には「小学校から中学校へのスムーズな接続、引継→中学校入学前に、不登校の経緯や支援を保護者から学校に伝え、情報の共有を図る」。

■あくまで相談室なので、実際に動くのは学校や保護者なのはわかる。それにしても保護者の負担が多い。項目3「具体的な支援」では「保護者と子どもの関わり」にスライド8枚中7枚を割く。

  • 元気の回復、状況の改善に向けて、家庭内で元気に
  • 保護者が落ち込んでいると、子どもも辛い
  • 子どもの状態改善は、家での保護者の関わり方が良いから

そして一段と大きなフォントでこうつづる。

保護者が「子どもの相談相手」になる

(これまた細かいことだけど、子どもの『相談相手』じゃなく、『子どもの相談相手』なのはなぜだろう)

■学校や関係機関の役割は「適切な登校刺激」(!)であり、保護者の役割は子供への「笑顔で会話、励まし」=「子どもの相談相手」になること。おそらくこれが「ストレスの発散、解消」にあたるのだろう。両者が情報交換を欠かさないことで、子供に学校復帰の兆候が見えたさいに効果的な連携を図ることができる。

■保護者の関わり方の例として「登校のみを目的としない」「見守ることも支援のひとつ」「焦らず、慌てず子どものペースを大切に」といった言葉が並ぶのだけど、これはちょっと無茶だなあと思う。というのは前段の「不登校のきっかけ・理由」のところで、

  • 原因探しや待つだけでは、うまくいかないこともある
  • 欠席が長期化することで、二次的な理由も生じる

と書いているからだ。市教委のいう「不登校」はそもそも「学校に行こうと思っているけれど行けない」状態であることを思い出してほしい。そして学校や関係機関は「適切な登校刺激」をおこなうところなら、なにをどう言い繕ったって学校復帰しか道はない。おまけに欠席の長期化でさらに問題が生まれるとあっては、焦るなと言う方が無理だ。なにせ「子どもの状態改善」は保護者の関わり方次第なのだから。

■項目4「保護者を支える人材や関係機関」では、学校の先生や相談支援パートナー、スクールカウンセラー、教育相談室に相談指導教室に加え、「その他の関係機関」として、SSW、児相、子どもアシストセンター、札幌こころのセンターなどが並ぶ。ここにフリースクールや親の会がないと山田は言うわけだが、それは仕方ないだろう。だって、関係機関の役割は「適切な登校刺激」なのだ。学校復帰を目指さないフリースクールなんぞお呼びじゃない(SSWや児相の役割もそうなのか疑問が残るが)。

■この資料を読む限り、札幌市教育委員会は学校復帰を不登校対策(支援)の前提としており、そのために保護者の協力を強く求めている。この交流会に出て、肩の荷が下りた、悩みが軽くなったと感じたる保護者はいるのだろうか。さらなる責務を負わされたと感じたのじゃないか。

■おまけ。札幌市が不登校児童生徒数を発表しなくなったのは2017年度から。2018年度から文科省発表のデータに政令指定都市が追加されたのであまり意味はない。不登校の増加理由について「学校に対する意識や捉え方など、社会全体の変化も背景の一つにある」とあって、これがおそらく「教育機会確保法の影響」というヤツなのだろう。ただ、これも無理があって、市教委の定義する不登校は「学校に行こうと思っているけれど行けない」なのだから、

  1. 学校に行こうと思っているけど行けない子が、
  2. それでも登校していたのを、
  3. 確保法の成立により学校を休むことが認められたため、
  4. 登校しなくなった

ということになってしまう。そんな複雑な状況が全国で毎年1万件ずつ増えてるはずないでしょう。というか2番目の時点で不登校ではない。

■ひょっとして市教委は、学校に行きたくない児童生徒は「不登校じゃない」と決めたのかもしれない。「決めた」は言い過ぎにしても、対応の順番を下げたとか。そもそも不登校は「問題行動」ではない。必ずしも学校復帰を目標にしなくていいと文科省も言っている。経産省文科省の進める「個別最適化」された学習で、登校しなくても「学びが止まる」こともない。じゃあ、対策する必要なんてないじゃないか。

■教育機会確保法は不登校児童生徒の状況把握を求めている。なので、安否確認はおこなう。また不登校児童生徒およびその保護者への情報提供や助言もする必要がある。なので、交流会を開いた。もし学校へ行きたいと子供が言い出したら、いくらでも対応します。学校および関係機関の役割は「学校に行こうと思っているけれど行けない」子に「適切な登校刺激」をおこなうことですから。

■という見方はうがちすぎかなあ。でも、本当にこわいのは、こう言われたときに跳ね返す言葉がないということだ。法律に則って対応している。そもそも、教育機会確保法はフリースクールが望んで成立したものじゃないか。そちらの要望を受け入れたのになんの不満があるんですかと、俺なら言う。

■「学校」「不登校」「休息」「教育機会の確保」。なにかを掛け違えたままここまで来て、その結果が市教委の資料に現れている。大きく塗り替えねばダメだということはわかって、しかし、どこからどうするか頭を抱えている。

■と、ダダっと懸念を書きつけてからもう一度、資料を読み返してみた。もしかして、本当に保護者の気持ちを楽にしようとしてこの資料をつくったってことはないだろうかと思って。

■「教育相談から見る不登校」には、小学校低学年から中学まで、段階をわけて多くの不登校の要因が書いてある。当てはまる保護者もいるだろう。周囲の評価が気になって自信をなくしたケースには、「自信のある教科や取組から参加する」ことを勧める。いきなりすべての授業に出なくても、「スモールステップ」の参加でかまわない。そうやって、いろいろな窓口を開けておく。この項のまとめにはこうある。

子どもの成長は連続。子どもの変化を複数の目で捉え、動き出すタイミングでキャッチする

そのために連携していきましょうと読むこともできる。例の「適切な登校刺激」にしても、登校をうながすのは学校なり関係機関がやるので、家では子供の状況を受け入れて、なんでも相談できるようにしておいてくださいと言っているのかもしれない。

■「子どもが動き出したくなったときのために」、担任に子供の好きなことを知っていてもらう、小学生なら一緒に遊んでもらうのがなにより、なんていうのは悪くない。一方で、全職員に状況を知ってもらい「同じスタンス」で関わってもらうのは、保護者がするには荷が重い。

■ということで、やはりここへ戻ってくる。

不登校とは
「学校に行こうと思っている…」けれど「行けない」

これを、

不登校とは
「学校に行きたくないと思っている…」けれど「無理して行き限界が来た」

にできなかったんだろうか。そうしたところで保護者の姿勢はそんなに変わらないし、不登校増加の説明とも齟齬がなくなる。

■なぜこんな書き方になるのか。読み返して、「無理が来たからちょっと休む」という視点がないんだと気づいた。不登校の子はなんらかの困難を抱えている。支援することでつまずきをなくす、あるいは減らす。いかに遅滞なく、またストレスなく学校へ戻るかというスタンスでこの資料は書かれている。

■「戻る」と書いたが、正確には「戻す」だろう。誰が戻したいのか。まずは保護者だ。で、あらためて、保護者の気持ちをこの資料は楽にするのかな。学校に戻したいという保護者の気持ちに「寄り添う」ことは正解なのか。いや、寄り添ってはいないか。戻したいのは学校も一緒で、そのためにタッグを組みましょうというお誘いだ。それが子供の「支援」になると。

■だが、このやり方では、子供は追い詰められる。そもそもの前提がズレてるんだから仕方ない。子供が追い詰められれば保護者だって苦しくなる。まあ、不登校の定義を、

(まわりは)「学校に行かせたいと思っている…」けれど(子どもは)「行かない」

にすればズレはなくなるんだけどね。どっちも子供を主語にするからおかしくなる。それならせめて「休む」のは悪くないと一言入れてやってよ。そして、教育機会確保法で休息が認められたなんてやっぱりウソだなと思ったのでした。

未来を盾に今を脅すな

■定期的に思い出す話題です。子どもと関わる際にやりがちなのが、「未来のことを引き合いに出して、現在の様子を改善せよ」と迫ることで、これはよくない、というもの。

■これは漂流日誌でもそんな話が出ていたと思うのですが、いざそんな話を子育て中のお母さんに話してみると、「とはいえ、うちの子が今後困らないようにしたい、と思う親心が強く出てしまうんです…」と言われることもありました。

■ちょっとぼくが乱暴でした。相手の気持ちを蔑ろにするような言い方はよくありません。「我が子を大切に思う気持ち」と「実際にしている関わり」がかみ合っていないかもしれないという相談がいいのかもしれません。そんなことを思い出した今日この頃です。

無事乗車

■無限列車、無事乗車してきました・・・。あまり深くは語りませんが、音が良すぎて本当に攻撃を受けている気分になったのと、猗窩座が終始煉獄さんのことを名前呼びなのが気になって笑ってしまったのと、最後カラスがうるっとしていたのを見て泣きそうになりました。最高でした・・・。

■訪問先の子を朝家まで迎えに行って、余裕を持って目的地に到着。その後はポップコーンを買って、時間まで乗車4回目の訪問先の子に映画の見どころについて聞かせてもらい、乗車後は煉獄さんの熱にやられながらぽつりぽつりと感想を言い合い訪問先の子の家までおろしてバイバイ。普段絶対言わないのに別れ際に「ありがとうございました」って言うのはやっぱり出かける訪問のアレなんだなぁっと前にどこかで書いた気がします。

久しぶりのお仕事

■皆さんこんにちはボラスタの山川です。

■ちょうど今日久しぶりにアルバイトに行ってきました。初日だったもので動画を見てその日は出勤を終えたのですが、次からはレジトレーニングらしく久々のレジで緊張しています。まあレジは多分大丈夫でしょう。既に動画の3割くらい忘れているけど。山川のバイト人生はほぼレジだったのでレジを打つのは慣れっこです。その他は不慣れですが。

■そして明日は茂木さんがどうやら[無限列車]に乗るみたいです。どうかご無事を祈っております。あ、寝すぎて夢見過ぎないようにね。ではまた。

市教委の保護者交流会

■2月9日に行われたものだが、土曜日まで待つのも勿体ないから月曜日の日誌で書く。ちえりあで行われた札幌市教委主催「不登校の心配のある生徒の保護者交流会」に出席した。年に2回行われる交流会で、フリースクール職員にも出席できますという案内があったので行ってきたもの。

■まず教育センターから、不登校児童生徒への支援について「教育相談室から見る子供理解」という講演があった。どうも教育機会確保法成立以来の道教委・市教委の不登校児童生徒への対応姿勢が二十年以上前に回帰している気がしているのだが、今回もやはりその認識が強まった。不登校児童生徒数は道内・札幌共に増加していると語るのだが、正確に何人かという話しは資料の上でも記述が無い。以前と変わって、文科省の問題行動等調査で政令指定都市不登校児童生徒数が発表されるようになっているから調べればわかることだけど、なんでか出さない。増えている、という話しだけ出して数を出さないのは何故かというのは聞きたいところ。
www.mext.go.jp

■そして、それが「教育機会確保法の影響もあると考えている」と話していたのには驚いた。この教育センター職員の講演の話しではほとんど詳しく語られなかったが、休むことを認めたから休みやすくなったという論理展開が成されていたわけだが、果たして子供や家庭のうちどれくらいがこの法律を知っているというのか。そもそも、この職員も「こんな法律がありまして」というような姿勢で話したではないか。知り合いと話したところだと、函館あたりじゃ教育機会確保法があるから休んでいいとポジティブに話す教師もたくさんいるというが、札幌ではそんな教師の話しはとんと聞いたことが無い。確保法のおかげでフリースクールの利用者が増えましたという話しも聞かない。もう、お手軽に原因をなすりつけることができそうなものに頼っているとしか思えない。そして、資料に出てくる不登校の定義は「学校に行きたくても行けない生徒」なのだ。教育機会確保法は多様な学びを主体的に選択して不登校をする生徒を想定しているわけで、教育機会確保法のために不登校児童生徒が増えたというなら、それはこの講演で語られる不登校児童生徒とは関係無いということになるのか。

■まあ、これは保護者交流会であって、支援者や研究者向けの話しをしているのではない、と言うことはできるかもしれない。だからなのか、話しの中では子供をどうするか/子供を変えるためにどうするか、という話しばかりが出てきて、学校にどう働きかけるのか/学校はどんなことができるのかという話しは出てこない。なのに、学校にはたくさん進路の情報がある(本当か?)とか小学校から中学校の引き継ぎの時には保護者から働きかけをしてほしい(それは保護者が苦労せねばならないことか)という、家庭から学校への働きかけを求める話しばかりは出てくる。もしかして、教育センターではそうした話しが親にどのような受け止められ方をされるのか、全く意識していないのではないか。

■最後に笑ってしまったのは不登校への対応で「学校復帰の兆しが見え始めた時、ここがチャンスなんですが」と話した時だ。何を至上命題としているかはっきりと話しているのは教育委員会の設置しているセンターだから仕方無いとしても、不登校児童生徒の多様な学びを支援する教育機会確保法が出来ましたと話した人がそれを言っちゃだめだろう。

■そして、講演のパワーポイント資料の最後には連携する関係機関にどんなものがあるのか羅列されているのだが、フリースクール不登校の親の会も無い。あれれ、この保護者交流会にはフリースクール職員も参加願いたいと言っていたと思うのだけど、我々は関係機関ではないのですかね。そして、その後の懇談の場で話した保護者の方々は口々に「こういう場で不登校の子と暮らす日常について、他の方の話しを聞けて良かった」と話してましたが、そういう場を何十年も前から運営している親の会の情報を伝えた方がいいのではなかろうか。教育センターの人たちもフリースクールや親の会を知らないわけじゃあるまい。大体、毎年提出を求められるフリースクールの運営状況についてのアンケートはなんなのだ。ということで、懇談した保護者の方々には親の会のことをお伝えしたが、そういう資料集的なものをおみやげに上げられたらいいよね、と思った。

■ということで、あります。(水曜日)

お見事

■埼玉県越谷市フリースクール「りんごの木」から30周年の記念誌が送られてきた。

k-largo.org

■A5横型で94ページフルカラー。きちんとデザインされていて、読みやすいし、見栄えもいい。20歳前後の元利用者を中心に作成したとのこと。

■一読して「いま」の本になっているとわかる。「いま」のりんごの木の様子。元利用者が「いま」語る当時の話。スタッフ座談会で一番しゃべっているのは4年前に入った新しいスタッフだ。保護者のページは、いま子供の不登校に悩む保護者へのハウツーとメッセージになっている。「不登校について考えよう」という特集的なページは、2020年度の不登校の現状をもとに話を進める。

■なにより驚いたのは30年記念誌なのに創設者である増田さんがほとんど現れないのだ。ああ、しっかり世代交代したんだなと思う。お見事。

■保護者のページなんかは、いろんな人に読んでほしいから、りんごの木にお願いして何冊か送ってもらおうかなー。