漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ど忘れ

■眠いのからかわからないが、何を書こうとしていたのか忘れた。なんかあったはずなんだがなぁ。世の中は8050問題なり、老後の資金2000万は貯えとけなどなんだがいろいろ騒がしいのだが。

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■silk 2という携帯のアプリで描いてみた漂流男。最近隙あらばこのアプリで色々描いております。他のお絵かきアプリとは全然違い、まともなスケッチブックとしては全然機能しません。このアプリの特徴は「なんだかよくわからないけど神秘的な何か」を簡単に描けるという一点のみ。簡単なパレット作成やアンドゥ機能のみ。消しゴム、鉛筆の太さなどなどスケッチブックアプリの基本機能はほぼなし。それでも結構変なのが描けるのがおもしろい。ついでにもう一枚。画像の大きさを変えるのにしっくはっく。小さくするのは難しい。
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■こないだBUMPの曲を貼りつけたら相馬さんが「翔がバンプを聴くイメージはなかったな」と言われました。最近の曲はたしかにあまり聞かない。どうもその名の通りの「弱虫の強烈な一撃」があまり感じられない。やはり皆、歳をとったということか。本当なら「メーデー」を貼り付けたいのだがYouTubeにはないんだなぁ。がっかり。今日の一曲。BUMP OF CHICKENで「happy」。だれの誕生日でもなんだけどね。

BUMP OF CHICKEN『HAPPY』

昔の記憶

■皆さんこんにちはボラスタの山川です。膝の方は大丈夫です。

■最近、昔のことをよく思い出します。小学校の時に【NARUTO:少年篇】が凄く流行してて、すぐにNARUTOにハマった俺は忍者走りを運動会などでやるくらいのハマりっぷりでした。今思うと後悔しています。それからアニメから少し離れ、中学校に行かなくなり、自宅もネットが繋がっていなかったので、【ドラゴンクエスト・モンスターズジョーカー】というドラクエのモンスターを育ててパーティを作るゲームにドはまりしてひたすらやりこんでいました。朝起きて、DSの電源をつけてひたすらモンスターのレベルを上げ、モンスターを配合しては強いモンスターを何体もストックして作ってを繰り返してました。総プレイ時間は中学の時点で300時間ほど。後はプレイステーション1の初代の【バイオハザード・ディレクターズカット】版をやっていました。攻略サイトなどを使わずひたすら洋館を彷徨い、弾を集め、ゾンビを倒す。この作業の繰り返しでした。だからこそひとつのゲームをやりこむ面白さや楽しさを学べたのかなと思います。【街 〜運命の交差点〜】というサウンドノベルゲームもこの時初めてやりました。今思えば中学生の時代に「サウンドノベル」というジャンルは少し難しかったのかな。初めて買ってもらったPSPのソフトで【クリムゾンルーム・リバース】という脱出ゲームもひたすらやりこみました。これが僕と脱出ゲームの出会いでした。いま思うと、昔はひとつの事に夢中になれたのに、いまになってみると面倒くさがって何も完全クリアをしなくなりました。一度クリアしてしまえばストーリーは同じだし「やりこむ」という気持ちが無くなってしまいました。そこらへんから「広く浅く」という考えが出始めてきました。決して悪いことではないと思います。でも楽しい事、やりたい事にひたすら取り組む、ひとつの事に楽しむ、それが出来てる人は本当にかっこいいと思います。そして本当に素晴らしいと思います。

■話が逸れてしまいましたが、これが最近僕がずっと思っていたことです。ではまた。

8050問題

■日曜日だが、KHJ北海道主催のひきこもり学習会「ひきこもり8050問題と命の危機予防を考える」を聞いてきた。講師はひきこもりについての視線にうなずけることの多い記事を書くジャーナリストの池上正樹さん。

■講演では事例がいくつか出たが、最近の事件を受けて当事者が感じていることをまとめていうと「居場所が無くなることへの危機感」になるだろう。物理的心理的に自分の生存が守られる聖域であった家に、外界からの視線が痛いほど刺さっている。親もそれを受けて、ひきこもる人への接し方が変化する。それぞれの苛立ちを増やして家庭内をギクシャクさせることが、世の中の人の望みではなかろう。

■続くシンポジウムでは登壇者の一人が、平均的人間像から距離を感じており企業社会への適応に著しい不安がある人が働く会社として「労働公社」という組織を提案していた。不登校対策として適応指導教室を作るようなものかなあ、と思いながら聞いていた。

■最近とみに思うのは、若者の生きづらさを支援することは実は中高年世代の生きづらさを支援することと繋がっていなければならないのではないか、ということだ。若者だから人生経験や資本が無いところを支援するということも必要だが、それを得た後にもひきこもる現状が既にある。中高年が生活を無事に送る道筋を今の若者に見せる必要もあるだろう。就職すれば終身雇用で無事過ごせるという世の中はとうにないのに、就活至上主義の中で汲々と学生時代を過ごすという矛盾した世界に若者は生きている。こりゃあ、やけにもなりやすいよ。

■などということを考えつつ、月曜日はソウアライブ仕事。途中で、余市の教育福祉村の理事になる打ち合わせで教育大の平野さんとワーキングランチ。夜、訪問先の顔合わせ。新しい訪問先が増えるぞ。(水曜日)

意見求ム

■教育機会確保法の見直しが近づいてきて、だがどんな動きがあるのかよくわからない。先月、突然「個別学習計画」の復活が検討されていると報道が出て、にわかにざわつき出した。そしてやはり続報はない。
www.kyobun.co.jp

■それなら自分たちで考えましょう。そして意見を届けましょうということで、急だが今週末にひとつイベントを持つことにした。来られない人もぜひメールやここへのコメントなどで意見を寄せてほしい。6月23日にあるフリースクール全国ネットワークの総会へ持っていくのと、検討委員に入っている国会議員へも送ろうか。
www.facebook.com

■あとは自分の意見もまとめておかないとね。とりあえず疑問なのは、フリースクールでもICT業者でもいいんだけど、個別学習計画を出して、就学義務履行ってことになって、実は無理させててその子が自殺を図ったなんてとき(十分あり得るでしょう)、所属は学校じゃなくてその団体になるのか、それとも家なのか。計画作成、提出は保護者だから仕組みとしては家庭の責任になるんだろうけど、それってフリースクールも業者もずるくねえ?

■ここでも何度か書いたけど、個別学習計画は学習権じゃなく保護者の就学義務の範囲を広げたものだ。学校がイヤならまだ避けることができるけど、家はそうもいかない。といって学習計画を出さなければ就学義務違反に問われるかもしれない(少なくとも履行はしてない)。進退きわまる。義務から追っかけた施策を家庭に持ち込むのはあぶない。(6/10夜)

インターナショナルご飯

昔やっていたラグナロクオンラインがモバイルゲームで出たというので、iPadでやってみている。とても懐かしい。ただ、モバイルというけどスマホじゃ画面小さいだろうな。やってみている人、いたら一緒にやりましょう。

■昼に夜勤仕事の研修に出てから、北大祭に行き世界各国の料理を食べた。ベトナムのフォー、ポーランドのスープであるジューレク、アフリカのチキンマチョモ、モンゴルの蒸し餃子、ウズベキスタンの揚げ餃子のようなチュチュバラ、スリランカひよこ豆のサラダ、お腹いっぱいになりました。

■その後、夜回り。(水曜日)

ドッペルゲンガー

■人の判別がちょっとどうかというくらいできない。それで映画を観てもわりに難儀している。

■先日観た「アメリカの友人」なら、デニス・ホッパーとジェラール・ブランの見分けがつかない。帽子をかぶっているうちはいいが脱がれたらお手上げだ。

■一番好きな映画はもう30年くらい「殺人に関する短いフィルム」なんだけど、映画のできがいいのはもちろんとして、登場人物が少なくて間違いようがないという理由も、もしかしたらあるかもしれない。殺す人、殺される人、弁護士の三人しかいない。しかも被害者はすぐ殺されていなくなるから実質、犯人と弁護士だけだ。そういえば、おなじ監督の「愛に関する短いフィルム」も覗く男、覗かれる女、老母しかいないや。

■で、ふと考えた。なに恐怖症と呼べばいいのか、「もうひとり自分がいる」という想像に根源的な恐怖を感じる。昨日観た「トライアングル」は怖かったー。何度も現れる自分。自分が自分を殺すループ。これってひょっとして識別能力の低さも影響しているんだろうか。俺の把握している世界はかなり曖昧だ。目の前の相手が誰なのか確信が持てない。裏返せば、相手だって自分と会っているつもりで「もうひとりの自分」と会っているのかもしれない。そんな存在の不安があったりして。

■またさ、「相馬に似た人見つけた」って話をよく聞くんですよ。こわいぜ。


『「そっくり人形展覧会』 (谷山浩子)